九転十起女和花の気まぐれお仕事日記

前ブログ「九転び十起き」から引き続き、独身アラフィフ非正規社員の仕事にまつわるお話を中心に綴っていきます

社会人として駄目なことと、出来ないと言えない自分

ガールズちゃんねるで、

「職場でこれは駄目だろ、と思うこと」というテーマで、

やりたくないからと言う理由でその業務をやらない。それが曲がり通る人がいる。

と言うレスがありました。

そうそう、その通り。います。って言うか、仕事なんて本来、やりたくない事だったり、苦手な事でもしなくてはならないのですよ。ほとんどの人は、そう割り切って嫌なことでもやっているのに、何故かそれが許されている人がいるんですよね。

こういう人って、どこにでもいるのです。何故か、どんな事をしても許されるんですよね。同じ事を、仮に私がやったとしたら、間違いなく非難されたりするのに…。

まず、気の強い人。強く言えば周りが従う、と思っている。

そして、人当たりが良く、愛嬌のある人。明るく「出来な〜い」と言えば、何でも許されると思っている。

彼らの理不尽な主張のせいで、気が弱かったり、善良な人々が尻拭いをさせられる、こっちの身にもなれよ💢と怒りを感じたこと、数知れず。

そして、そのような状況にも関わらず、我関せず、臭いものには蓋をするポンコツ上司。大概、気が弱かったり、面倒事を嫌うタイプですね。今の上司って、悪い意味で人の顔色を伺う人多くないですか?つまり、自分の損になる事だったり、利益にならない事に対しては、本当に動かない。そして、強く物を言えない。

そうなると、部下に負担が掛かり、その部下の中に業務を放棄する人がいると、注意せずに放置し、善良な(?)一部の人に負担が掛かる。

こう言うのを始め、社会人として終わっているわ、と言う事、本当に多い。だからこのトピには1000件超えるレスがついています。それだけ理不尽な目に遭ってる人が多いって事ですよね💨本当に勉強になります。

そんな私も、嫌な事に電話応対とか、先日初めてやったWEBミーティングがあります。出来ることならやりたくないけど、やれません、とは言えない。なぜなら、それも仕事だから。得意なことや好きなことばかりやることができるのなら、それはそれでいいのかもしれない。でも、苦手なことや嫌いなことが付き物なのも、仕事のうち、なのです。

今の子どもたちは、学校に行きたくなかったら、休んでもいいよと言われますよね。私が子供の頃は、それは決して許されませんでした。そうして我慢して我慢して、生きてきた。なので、今の子どもたちが羨ましいと思ったりします。

でも…そんな今の子たちが、社会人になったら。果たして会社や職場でうまくやっていけるのでしょうか。私自身、いわゆるそう言う子だったので、心配になります(大きなお世話かもしれませんが)。

我慢を覚えずに社会に出ると、理不尽な世界だらけで、たちまち萎縮してしまうかもしれません。いくらテレワークや在宅勤務が増えているからと言っても、人と関わらない仕事はほぼないに等しいです。それこそ独立してひとりで何もかもを築き上げなくては無理ですが、そうなるためにも、人の助けがないと不可能です。

出来ないから、怖いからと言って「やりたくない」と避けてばかりいると、何も出来なくなってしまいます。経験談から、得意なことや好きなことまでできなくなってしまう。やりたくないことばかりに囚われてしまうばかりに、やることなすことがことごとく裏目に出てしまうんですよね。

私の場合は、仕事そのものは好きなのですが、人間関係だったり、人と関わる事で躓くことか多いですね。ほぼ現場作業で、慣れるとひとりで出来るし、手先の作業は無になれるから、多少体力がキツくてもやっていけます(年々体力がキツくなってますけど💦)

ただ、それに関わる人間関係は一筋縄ではいかない。本当に色んな人がいますし、相性もある。これまで人に助けられた事ももちろんありますが、記憶に残るのは、人に邪魔されたり、傷つけられた出来事ばかりです。

最初に書いた、

やりたくないからと言う理由でその業務をやらない。それが曲がり通る人がいる。

と言うレスですが、この手の人たちに、いつも尻拭いをさせられてきました。私だってやりたくないのに。そして私がそう言うと否定されるのに。

1番身近な例として、前の会社での事。何度も書いていますが、この会社を辞めたきっかけは、ひとりの社員です。彼女は、「やりたくない」か曲がり通るタイプの人でした。と言うより、上司と非常に仲良く、やりたくない事は、何でも上司や他の人にお願いしてやってもらってました。

まだそんなに険悪ではなかった始めの頃は、私も彼女に色々頼まれてやったりしていました。大体が、人と関わる事です。内線電話で、色々やり取りする事もあったのですが、その作業を良く代わりにやっていました。私も慣れるまでは、先輩社員にやってもらってましたし、ゆくゆくは本人もやってくれると思っていたからからです。

ところが、いつまでたってもする気配がありません。それどころかずっと避けています。それとなく伝えた事もありますが、「出来ません」の一点張り。私からではラチが明かないので、他の人からそれとなく伝えてもらいましたが、やはり無理でした。仲良しの上司には言えないし、どうしよう、と悩んでいた所、向こうがこっちを避けるようになり、結局上司が代わりに伝える羽目に。

言っておきますが、私はこの事に関して、しつこく彼女を問い詰めたりはしていません。逆に結構気を遣ったつもりです。でも、結局それが裏目に出たのかな。

彼女が入社する前は、仕事は個々でやれることを行い、忙しい時はお互い助け合ったりするスタイルだったのですが、それが、始めから助け合いありきの、「皆で協力してやりましょう」スタイルに変化し、個々で作業をするのは駄目、みたいな雰囲気になり、一気にやりづらくなってしまいました。そうなると本当に針のむしろなんですよね。周りもどことなく私に対して、よそよそしくなったり。

これまで5年間培って来たものが、こんな些細な事で大きく崩れてしまうのか、と。嫌な事や苦手な事も、文句も言わず黙々とやってきたのに。そう言うものだと思っていたのに。

それでも、やはり「やりたくない」とは言えません。心の底で思っていても、それを言ったら終わるような気がして。勿論、人の反応が気にならないかと言ったら、それは否定しません。でも、それ以上に自分自身のプライドが許さない、と言うか。

だからか、今の職場で、社員さんに親切にされると、「申し訳ないな」という気持ちが勝ってしまうのです。会社や職場で、あまり人に対して親切にされる事がない、どちらかと言うとどこでも尊大な扱いを受ける事が多かったから、戸惑うのです。そして、それに甘えたらいけない、と自分にブレーキをかけてしまう。

こう書いていて自分でも「面倒臭いなぁ💨」と思うのですが、つまり、「やりたくない」=「自分の中の弱さを認めたくない」のかな。多分「やりたくない」と言える人は、弱さを人に委ねることが出来るのでしょう。それか、そう言うのに鈍感てと言うか、そう言う思考そのものに辿り着かないのか。

ブログを見ていると、「そこまでして、ここで働かなくては駄目か?」と言うのをよく見ます。中には吐血してまで、無理して働いている人も。だから、私なんてまだまだ甘ちゃんです。皆、自分の中の弱さと闘っているのだと思います。今、ここで逃げたら負けだと。

「逃げるが勝ち」と言いますが、本当に限界だったら、逃げてもいいと思います。件の吐血してまで働いている人は、掛かりつけの医師や周りの人たちが退職を促しているにも関わらず、働き続けています。その人も、かつての私と同じく、ひとりの女性社員から嫌がらせを受けている模様。毎日、「そんな所、とっとと辞めればいいのに」と思いながらブログを読んでいます。大きなお世話だろうけどね。

でも、心身どちらかに影響が出た時点で、身を引いたほうがいいと思います。私は今回は体に出たので、退職を決意しました。その前は心でした。何よりも体が1番大切。それが日常生活に影響が出始めた時点で、辞める方が、後々のことを考えても、いいと思います。

退職してから、今の仕事を見つけるまで、約20日間のインターバルはありましたが、幸い直雇用での仕事が見つかり、今は心穏やかに働いています。とは言え、電話応対やトイレ問題など、全くストレスフリーかと言えば、NOですが、それを含めて、うまく付き合っていけるとなと思っています。

もうそろそろアラフィフ卒業なので(私の中のアラフィフ定義は50プラマイ3歳)、いい加減腰を落ち着けたい所ですが、こればかりは何とも言えません。ただ、もうすぐ半年が経過します。やっと有休も取れる様になるし、もうしばらくは頑張るつもりです。出来れば体力が続く限り(←これも問題)。