九転十起女和花の気まぐれお仕事日記

前ブログ「九転び十起き」から引き続き、独身アラフィフ非正規社員の仕事にまつわるお話を中心に綴っていきます

コミニュケーション力

働く上で必要なのは、コミュニケーション力とよく言われます。

しかし、私もそうですが、多くの人がコミュニケーション能力に悩んで、酷い人だとそれで心を病んでいるのが現状です。

元々団体行動が苦手で、学生生活が苦痛だった私は、社会人になって、更にコミニケーション力に苦しむことになっていきます。

入社した当時は昭和の末期。令和の今より、まだまだコミニケーションが重要視されていた時代です。今はランチのボッチ飯は珍しくないですが、当時はそれすら人格を否定された時代です。素直で愛想がいい人がもてはやされ、そうでない人は「可愛げがない、嫁の貰い手がない」と直接言われてもパワハラにはならず、寧ろそれが当たり前だと刷り込まれていました。

たまたま同性の同期がいなかったのもあり、いつも孤独でした。他の、同期のいる人たちが楽しそうにしているのを見てると、羨ましいけど、その輪に入っても浮くのは分かっているので、付かず離れずの距離感で接していましたが、それすらも苦痛でした。

その頃慰安旅行など、会社の行事が多数あり、毎月のように何らかのイベントがありました。それがとても苦痛だったのですが、当時は余程の理由がない限り不参加は許されない風潮だったので、無理矢理参加していました。当然楽しめるはずもなく、随分時間を無駄にしたものです。今でも飲み会などの社内行事に苦手意識があるのは、その頃の影響があるからかもしれません。

平成になってからも、幾つか飲み会などの社内行事は原則参加の会社がありました。そのくせ、楽しくなさそうにしていると、「もっと楽しそうにしないと」と言われたりする。これこそパワハラですよね。もう、心を殺して、早くお開きになるのを待ってやり過ごすだけでした。

令和になって、コロナが蔓延してからは、社内のイベントが激減しましたよね。今、少しずつ元の生活に戻りつつある中、飲み会などが復活するのかどうか気になります。そして、今年入社した会社はそのようなイベントがあるのかも。

今の職場は5人と少ないのですが、県内に2ヶ所別の営業所があって、そこと合わせるとかなりの人がいるようなので、ひょっとしたら、と言う気はします。あと、系列の会社絡みもあるかもしれませんし。あってもいいけど、参加は任意であって欲しい。

仕事内のコミニケーションは最低限必要だと思いますが、それ以外は本当にそれを望んでいる人だけにしてもらいたいです。本当に苦痛ですから。まだ飲めたり話題が豊富ならいいですが、私はどちらも乏しいですし、参加しても何のメリットもありません。

そんな時、必ず「それも仕事のうち」と言う方がいますが、そうでしょうか。飲み会や社内イベントの時は、時給が発生するわけではなく、逆に会費を取られる始末。無駄以外の何者でもありません。イベントの有無を否定するわけではありませんが、参加を強制はしないでもらいたいものです。

〜誰とでも仲良くなることだけがコミュ力だと思ったけど全然違った。相手を嫌いにならないように知りすぎない、相手に嫌われないように知られすぎない、そうやって他人と適切な距離をうまく保てることもひとつのコミュ力だよね。まずは自分が無理しないことが、相手にとって気持ちいいこともある〜

     (考えるOLから引用)

先日図書館から借りてきた本を読んで、深く共感しました。

コミュ力に悩んでいる人の多くが「距離感」だと思うのです。コミュ力のある人は、距離感の保ち方がとても上手いと思うのです。親密でもなく、突き放すでもなく、上手くバランスを取って接しているなと言う気がします。そしてそれは、決して強引ではなく、自然な流れで。

私は人から距離感を詰められるのが苦手だし、距離感を図って人付き合いをするのも苦手です。それで何度も失敗しました。そこから得たことは、自分の心地いい距離感を保っていくこと。相手のことを期待せず、自分を必要以上に見せない。これって一見冷たい、と思われるかもしれませんが、それが私にとって1番無難で、無理のないやり方なのかな、と。これだと、人が寄り付かない代わりに、人でストレスを感じることも少ない。そうすることで自分を守ることも出来ます。

これまで、仕事関係で深い関係を一切築いてきませんでした。そして辞めたら潔く関係を切る。ただ、勤務中は最低限の事はきちんとする。挨拶、報連相、人の話を聞くときは、頷く、相槌を打つなど。

そして、人によって態度を変えない。人によって態度を変えるの、意外と無意識で(中には意識的に)やっている人多いです。分かりやすい人は口調や表情に出ていて、見ていて「もうこの人のこと嫌なんだろうな」とバレバレだし。あと、分からないように巧妙にやっていると自分で思ってる人も、周りは結構お見通しだったり。

コミュ力の高い人は、比較的誰に対してもフラットに接しているし、苦手な人に対しても、感情的にならずに落ち着いて対処しているし、あしらい方も上手いし、負の感情をを引きずらない。

コミュ力が劣る人は、つい感情的になってしまうか、逆に能面の如く感情を表に出さないか、になってしまいがちです。そして共に、内面はもうその事で頭がいっぱいと言う。負の感情に引きずられやすい性質なんでしょうね。

私もかつてはそうでした。自分に対して優しかったり穏やかな人には、良い自分を精一杯アピールして好意的に振る舞い、そうでない人には冷たい対応(今で言う塩対応?でも塩より氷かも)をしていました。ハッキリ言って、好意的な人に対する依存心が、かなり強かったと思います。

でも今は、人間関係に無理をしなくなった分、そして人に期待しなくなった分、フラットに接するようになってきたかもしれません。そして、自分の事を必要以上にアピールせず、淡々とやり過ごす。

ただ、そんな態度が気に入らないと、突っかかってくる人もいました。前の会社の女ギツネがそのいい例です。彼女はどちらかというと感情的で、言いたいことはハッキリと言うタイプ。初めは、表裏のないそんな彼女の個性が好ましいと思うことがありました。そして、関係も悪くありませんでした。

それが突然、私に対して攻撃的な態度を取ってくるようになりました。まるで見に覚えがありません。初めは驚きましたが、自分に覚えのある非はないし、気にしても仕方がないとやり過ごすようにしていました。

ところが、それが気に入らなかったのか、ますますエスカレートしてきたのです。無理矢理視界に入れようとして、やたらと私に対して突っかかってくる。正直「何で?」と思いました。嫌なら視界に入れようとせずにやり過ごせばいいのに、それをしようとせず、真っ向から否定するようなやり方をする。余程気に入らなかったんだろうなと今になって思いますが、当時は本当に悩みました。

彼女との修復はほぼ不可能、更に周りはほぼ彼女の味方でした。多分私に対する態度は誰もが分かっていたと思いますが、見て見ぬふり。最後の方はかなり辛かったです。

結局、相手のことを期待せず、自分を必要以上に見せなかったことで、自分を守ったのが裏目に出たのかな。彼女は、自分をアピールしたかったけど、それに対して反応が乏しかった私の存在が鬱陶しくなったのかもしれません。

今となっては、そんなことで…と思うのですが、多分人に期待して、私を見て!とアピールするタイプの人間にとって、そうでない人間が信じられないのでしょうね。ただ、彼女がコミュ力あるかというと、決してそうではないのですよね。

さっき書いたけど、典型的な「人によって態度を変える」タイプです。しかも落差がかなり大きい。上司に取り入るのが上手で、休憩時間には常に一緒にいて楽しく過ごしていました。あと、自分にメリットのある人間だったり、下僕になりそうな人間には自分をアピールしていた気がします。

その一方、自分に対してメリットのない人や、私のように自分に関心を持ってくれない人には冷たい所がありました。取引先だったり、他部署の人にはツンケンしていましたし。

今はどうしているかは分かりませんが、上司が変わった時、どうなるのでしょう。依存しているだけに、居づらくならなければいいけど。それに対して上手く対処できるタイプならいいですが。

そう、依存心の高い人は厄介です。かつての私もそうでした。そして、そのような人にマークされると本当に困ります。逃げようにも逃げられません。これは経験しないと分からない事です。する方、される方どちらもあるけど、それが嫌なので人間関係に深入りしないのもありますね。特に会社の人間関係でそれをされると、居心地が一気に悪くなって、下手をすると病みます。

多分、人間関係で心を病んでいる人の多くが、距離感を上手く保てない人たちの餌食になってしまっている気がします。つまり、心が優しかったり、思いやりがあって、そんな人たちを放っておけない善良で真面目な人たちですね。割り切った人間関係を保つことが出来ず、つい手を差し伸べたばかりに、相手が依存心が強く、気がつくとドロ沼にハマっている。ブログなんかを読んでいると、この手の人が意外と多いのです。

一見コミュ力のある人たちなのですが、この手の人も、やはり距離感を上手く保てていないのです。深入りせず、程良い距離感で見守ればいいのを、つい手を差し伸べてしまう。決して悪いことではないのですが、それが裏目に出てしまう。

本当のコミュ力のある人は、そう言う距離感を絶妙にコントロール出来る。手を差し伸べはするけど、決して深入りせず、程良い距離で接し、深入りされそうになると、敢えて距離を離す事が出来る。その辺の見極めが上手く出来るのですよね。

かつては「おせっかいおばさん」として、厄介がられつつも人のためになる事が生き甲斐、みたいな人が一定数しました。多分、そのタイプの現代版なのでしょうね。自分の幸せよりも人の幸せ、そのためには困っている人に手を差し伸べたい、と言う心の持ち主。

それ自体はいいのです。彼女たちは良かれとやっているのですから。ただ問題なのは、その善良さを逆手に取って利用しようとする輩が増えていること。だから、心の病が増えているのだと思うのです。

皆自分が1番かわいい。それ故に「もっと私を見て、構って」と思う人が増えています。しかも、自らアピールできる人はまだいいのですが、ほとんどが「そんな私を見つけて」と言う自分からは何も行動を起こさない、他力本願なのです。

そんな人たちが、少しでも手を差し伸べてくれた人に対して執着するのです。ただ自分だけを見ていて欲しい、構ってほしい、幸せにして欲しい。自分では何もできないくせに、人に対する欲求は誰よりも強い。

これは会社の人間関係だけでなく、恋愛や友人関係にも当てはまります。依存する方は楽だけど、される方は相当のストレスです。本来フラットな関係を築かなくてはならないのに、極端な独りよがりな関係に陥ってしまい、何のメリットもないのですから。

ことに会社でそのような関係に陥ると、本当にストレス以外の何者でもなくなります。本来なら仕事に集中するところが、人間関係でそれすらもままならなくなりますからね。

そういうのもあるので、やはりコミュ力は程々というか、そんなに深く関わらないのが1番いいのかもしれませんね。幸い最近は、ボッチ飯も飲み会の参加も昔ほど強制ではなくなっていますし(但し一部あるので注意)、コミュ障でも仕事さえキッチリ出来れば問題ない気がしますね。更にコロナを機に、リモートでの勤務も増えていますし随分働きやすくなったものです。

とはいえ、それでも人間関係からは100%逃れられはしません。なので、自分にとって程良い距離感を保ちながら、ストレスをなるべく少なく、心地良く働ける環境を見つけたり、築いたり出来るといいなと思っています。余程スキルがない限り、ひとりで完結できる仕事などないですから。

まぁ、人と関わるのも給料のうち、と思って、ストレスを溜めない程度に程々にコミニケーションを取っていけるといいな、と思っています。